売上は、悪くない。患者数も安定している。なのに、なぜ手元に残らないのか。
開業10年目の眼科クリニック院長は、診療後の机でその問いを繰り返していた。日帰り白内障手術の件数は順調に増え、外来も混んでいる。数字の上では成長しているはずなのに、資金繰りに漠然とした不安が消えない。設備の更新を考えるたびに、「今、投資して大丈夫か」という根拠が見つからず、判断を先送りにしていた。
月次の試算表は税理士から2〜3か月遅れで届く。手術部門と外来部門、どちらで利益が出ているか。午前と午後で収益構造に差はあるか。そういった問いに答えられる数字は、どこにもない。改善策は思いついた時に単発で打つだけで、数字を確認する会議体もなかった。
この記事は、そうした「どんぶり勘定」の状態から抜け出し、利益の在処を可視化した眼科クリニックの事例をもとに書いている。同じ感覚を持つ院長に、何かが届けば十分だ。
相談に来られた頃(Before)
診療が終わり、スタッフが帰った後のクリニック。院長は一人、院長室の椅子に深く座る。デスクの上には、先週ようやく届いた試算表。日付は3か月前のものだ。
数字を眺める。売上は悪くない。患者数も、開業10年目にしては十分に安定している。それなのに、手元に残るお金の感覚が、どこかずっと薄い。「忙しいのに、なんで残らないんだろう」。声に出すわけでもなく、そう思う。答えは出ない。
眼科クリニックの収益構造は、外来と手術で大きく分かれる。日帰りの白内障手術は件数があり、一件あたりの診療報酬も高い。外来は保険診療の積み上げ。どちらが利益に貢献しているのか、正直なところ分からない。午前の外来が混んでいる日と、手術が続く日では、スタッフの動きも消耗度も違う。でも、どちらの日が「稼げている日」なのかを、数字で確認したことがない。感覚で動いてきた、それだけのことだ。
試算表は、税理士事務所から郵送で届く。2か月遅れ、3か月遅れはざらだ。届いたとしても、科目が並んでいるだけで、何をどう読めばいいのか、院長には正直ピンとこない。「先生、今期はだいたいこのくらいの利益ですね」。電話口でそう言われても、その数字が今月の経営判断に使えるかというと、使えない。
設備の話が頭に浮かぶのは、決まって夜だ。手術機器の更新を、もう2年先送りにしている。メーカーの担当者から「そろそろ検討を」と言われるたびに、「もう少し待ってほしい」と返してきた。投資の根拠がない。今の財務状況でどこまで借入できるのか、返済が経営を圧迫しないかどうか、判断する材料がどこにもない。だから踏み切れない。踏み切れないまま、また一年が過ぎる。
改善策を考えないわけではない。「人件費が高いかもしれない」と思えばシフトを少し削る。「材料費が増えた気がする」と思えば発注を絞る。でも、それが正しいのかどうかを確かめる手段がない。数字を見る会議もなければ、KPIという概念もない。思いついた時に、思いついたことをやる。場当たり的、という言葉が頭をよぎるが、他のやり方を知らない。
「なんというか、毎日が綱渡りで。忙しいのに、どこに向かっているのか分からないというか」。後に院長はそう振り返る。患者は来る。手術も回っている。スタッフも大きな問題はない。それでも、どこか足元が見えない感覚が、10年目の院長の日常に静かに居座っていた。
なぜ、私たちを選んだのか
税理士への相談は、もう何度か試みていた。「利益がどこから出ているか、もう少し細かく見たい」と伝えると、返ってくるのはいつも試算表だ。数字は並んでいる。ただ、それが診療科ごとにどう動いているか、手術件数と利益の関係がどうなっているか、そこまでは見えない。「申告と記帳が中心なので」という言葉に、責める気にはなれなかった。それが税理士の仕事だと、院長自身も分かっていたから。
一般の経営コンサルにも一度だけ話を聞いた。提案書は分厚く、図表も整っている。ただ、眼科の手術と外来が混在する収益構造を、どこまで理解した上で書かれているのか、読んでいて確信が持てなかった。「これを実行するのは、結局うちのスタッフですよね」と院長が問い返すと、「そうですね、運用は御院側で」という答えが返ってくる。そこで気持ちが冷める。それだけで、十分だった。
決め手になったのは、提案の中身よりも「どこまで一緒にやるか」という一点だ。初回の面談で、院長はこう聞いた。「数字を見る習慣が、うちにはないんです。仕組みを作ってもらっても、続けられる自信がない」。返ってきたのは「それを一緒にやるのが仕事です」という言葉だ。提案書を渡して終わりではなく、月次で数字を確認する場に並走する。院長はその言葉を、額面通りに受け取ることにした。
眼科の診療構造、日帰り手術と外来の費用分担、材料費の変動性。そういった業態の実情を踏まえた上で管理会計を設計できるかどうか、院長は慎重に見ていた。「医療の現場を知らない人に、うちの数字は整理できない」という感覚は、開業以来ずっとある。その確認が、選択の最後の根拠になった。
私たちがやったこと(時系列)
1か月目は、数字を「並べる」作業から始まった。
手元にあったのは、税理士から届く試算表と、レセプトの集計データ。どちらも単体では意味をなさない。まず診療実績データと財務データを突き合わせ、売上を3つに分解した。日帰り白内障手術、一般外来、そして時間帯別の外来構成だ。
変動費も同じ軸で切り直す。手術に使うレンズや消耗材の材料費、手術補助に入るスタッフの稼働時間。一般外来と手術では、1件あたりのコスト構造がまったく違う。それを限界利益の形に組み直すと、院長がずっと感じていた「なぜ売上が伸びても手元に残らないのか」という問いに、輪郭が見えてくる。
院長は数字を見ながら、少し間を置いてから言った。「手術が稼いでいるのは分かってたんですが、こんなに一般外来のコスト比率が高いとは思ってなかった」。感覚は外れていない。ただ、どの程度かが見えていなかっただけだ。
2か月目は、「使える数字」に変換する作業に移った。限界利益の分解ができても、毎月それを読み解く時間が院長にあるわけではない。診療を終えた後の30分で、経営の状態を把握できる形にする必要がある。
設計したのはA4・3枚のKPIダッシュボードだ。1枚目は売上と限界利益の月次推移、2枚目は人件費率と材料費率の実績と管理レンジの比較、3枚目は手術件数・外来件数・単価の動向。指標は絞った。追いすぎると読まなくなる。院長が「15分で読み切れる量」を意識して設計している。
人件費率は売上対比で上限と下限のレンジを設け、そこから外れたら要因を確認するルールにした。「何パーセントが正解か」ではなく、「どのレンジに収まっているか」で判断する。その月、材料費率が想定レンジをわずかに超えていた。手術件数の増加に対して発注量の調整が追いついていない。原因はすぐに特定できた。
「これ、毎月これで見ればいいんですか」と院長は確認した。そうだ。見方が決まると、数字は急に読みやすくなる。
3か月目は、会議の「型」を作った。月次で数字を見ても、誰が何を準備し、何を決める場なのかが曖昧なままでは機能しない。院長、事務担当、顧問税理士の3者の役割を明文化する。
事務担当はダッシュボードの数値を前月末までに入力・確認する。税理士は試算表の最終数字を翌月15日までに提出する。院長は会議の冒頭10分でダッシュボードを読み、異常値があれば原因を問う。決めることは「来月の優先課題」と「確認が必要な数字」の2点のみ。それ以外は持ち越さない。
役割を紙に落とすと、それまで誰も「自分の仕事」だと思っていなかった空白が見えてくる。事務担当は「私が入力していいんですね」と少し驚いた様子だった。「そこが一番、ぼやけてたんだと思います」と院長は静かに言う。
4か月目以降は、会議に同席しながら運用を定着させていった。最初の数回は、ダッシュボードの数字をどう読むか、どの変化を「気にすべき変化」と判断するかを、院長と一緒に確認しながら進める。6か月目の会議では、院長が自分でレンジ外の数値に気づき、原因を事務担当に確認して、その場で翌月の対応を決めた。同席者が口を挟む場面は、ほとんどない。
「数字が経営の言葉になった」と院長は振り返る。「何となく不安だった状態から、根拠を持って判断できるようになったのが一番大きい」。
その後、何が変わったか(After)
月次会議が終わった後、院長は以前のような疲れ方をしない。数字を眺めて「なんとなく悪くない気がする」と思いながら閉じる、あの感覚がなくなった。
変化が実感に変わったのは、支援開始から約6か月が経った頃だ。人件費率が売上比で3ポイント近く改善傾向に入り、材料費率も月次でレンジ管理できるようになっている。数字が「後から届くもの」ではなく、「今月の経営判断に使えるもの」に変わった。その手応えは、数字の上だけでなく、院長の判断の速さにも出てくる。
なかでも院長が驚いたのは、手術と外来の限界利益率の差だ。日帰り白内障手術の限界利益率が一般外来を明確に上回ることが、初めて数字として確認できた。感覚では「手術のほうが儲かるはず」と思っていた。ただ、どれだけ上回るのかは分からない。数字が出た日、院長は診察室の椅子に座ったまま、しばらく画面を見ている。答えはそこにあった。
設備投資の判断も変わる。以前なら「まだ使えるか、どうか」という感覚で先送りしてきた手術機器の更新を、回収シミュレーションをもとに検討できるようになった。月あたりの手術件数と限界利益から逆算すれば、投資回収の目安が出る。根拠がある。それだけで、判断の重さが違う。
月次会議は今、院長・事務担当・税理士の三者が揃って15分前後で回る。KPIダッシュボードは数枚。「今月何を見るか」が事前に決まっているから、会議が脱線しない。税理士は申告と記帳に集中し、現場の管理会計は事務担当が数字を入力して月次で更新する。役割が分かれると、会議が機能する。
「何となく不安だった状態から、根拠を持って判断できるようになったのが一番大きい。数字が、経営の言葉になった」と院長は振り返る。
これから検討する方へ
「いや、正直、もう少し早く動けばよかったと思ってます」と、院長は苦笑いしながら話してくれた。
どんぶり勘定のまま経営を続けても、すぐに破綻するわけではない。患者は来る。売上は立つ。だからこそ、先送りが続く。気づいた時には、設備の更新が3年遅れ、手術室の機材は型落ちになっていた。
「数字が見えていない」という状態は、痛みを伴わない。それが怖いところではないだろうか。
管理会計の設計も、月次会議の習慣化も、「いつか始めよう」と思っている間は何も変わらない。始めてみると、院長が感じた変化はシンプルだった。「根拠を持って判断できるようになった」。それだけで、経営の重心が変わる。
私たちの視点
数字は、経営の言葉になる。感覚を根拠に変える。それだけのことが、判断の質を変える。
売上でも患者数でもなく、「どこで利益が出ているか」を院長が自分の言葉で語れるようになること。それが、経営の土台を整えるということだ。
同じ悩みに心当たりのある方は、経営構造診断のご相談から。まず現状を整理するところから始めます。

