院長が倒れても医院が回る体制を整えた呼吸器内科クリニックの記録

院長が倒れても医院が回る体制を整えた呼吸器内科クリニックの記録

院長が倒れたとき、医院は止まった。

開業12年目、呼吸器内科の無床クリニック。常勤医は院長1名、スタッフは看護師・事務合わせて8名前後。診療も、数字の管理も、スタッフへの指示も、すべて院長の頭の中だけで動いていた。資金繰りの見通しも、どこにも書いていない。

数週間の休診中、配偶者はどの口座に何が入ってくるのかもわからず、スタッフは「先生に聞かないと」と言いながら判断を止めていた。院長が回復して診療を再開したあとも、あの数週間の感覚は消えない。「自分に何かあれば、医院も家庭も立ち行かない」。その不安を誰にも打ち明けられないまま、数か月が過ぎた。

あなたのクリニックでも、院長が1週間不在になったとき、誰かが代わりに判断できる仕組みがあるだろうか。

この記事は、その問いに向き合い、体制を整えた一つのクリニックの記録です。

相談に来られた頃(Before)

診察室の椅子に座ると、まず咳が出る。それが数日続き、やがて熱が上がった。「少し休めば治る」と思っていた。しかし体は、そう簡単には言うことを聞かない。

開業12年目。北関東の地方都市で呼吸器内科を営む院長は、そのとき初めて、数週間の休診を余儀なくされた。常勤医は自分一人。休むということは、医院が止まることと同義だ。

休診を決めた翌朝、配偶者から一言あった。「今月の支払い、大丈夫?」。答えられなかった。通帳の残高は把握していても、向こう2か月の資金繰りがどうなるか、頭の中で組み立てる余裕がない。数字はすべて院長の頭の中だけにある。それを誰かに伝えたことは、一度もない。

スタッフは出勤してきた。でも、何をどこまで判断していいか分からない。「先生がいないと、何も決められなくて」と後から聞かされた。発注も、患者対応の判断も、保険請求の確認も、院長がいなければ動線が止まる。そういう構造になっていた。自分でそう作ってきた、という自覚はある。でも、こんな形で露わになるとは、思っていなかった。

体調が戻り始めた頃、夜中に目が覚める。布団の中で天井を見ながら、ぼんやりと考える。もし、これが1か月続いていたら。もし、もっと重い病気だったら。医院はどうなっていたか。家族の生活はどうなっていたか。

答えは出ない。

「いや、正直、怖かったですね。自分がいなくなったら、全部終わりだって、そのとき初めてリアルに思って」と、後に院長は振り返っている。診療規模を縮小することも頭をよぎった。いっそ承継を考えた方がいいかもしれない、とも思った。ただ、誰に相談すればいいか分からない。顧問税理士には財務の話はできても、こういう「経営の全体像をどうするか」という話は、なんとなく持ち込みにくかった。

復診を再開してからも、不安は消えない。診察室で患者と向き合いながら、頭の片隅にある問いが消えない。次に自分が倒れたとき、この医院は動くのか。家族は困らないか。スタッフは路頭に迷わないか。

その問いを抱えたまま、数か月が過ぎる。相談できる相手もなく、何かを変えるための一歩も踏み出せないまま、院長は毎日、診察室に座り続けている。

なぜ、私たちを選んだのか

紹介の電話が来たのは、顧問税理士からだった。

「提案書を出して終わりじゃないコンサルがいる。院内の実務に入って、院長の代わりに動く人たちです」。そう言われても、正直、ピンとこなかった。コンサルというものが何をするのか、院長自身もよくわかっていなかったからだ。

それまでに選択肢がなかったわけではない。医師会の勉強会で経営系のセミナーを聞いたこともある。「業務改善のポイント10選」のような資料をもらって帰ったこともある。ただ、どれも「やってみてください」で終わる。誰が動くのか。いつまでにやるのか。そこには、誰もいない。

院長が求めていたのは、アドバイスではなかった。「自分の代わりに動ける人」、それだけだ。

休診中、数字の見通しが立たなかった。資金繰りがどうなっているか、誰も把握していない。スタッフに聞いても答えが返ってこない。すべての情報が院長の頭の中だけにあったから、院長が倒れた瞬間、医院の「頭」が消えた。その経験が、まだ体に残っている。

初回の面談で、院長はこう話した。「正直、コンサルに何ができるとも思ってなかったんですよ。でも、提案書を持ってくるだけじゃなくて、実際に入ってもらえるなら、話は違う」。

決め手は、スタイルの違いだった。月次で院内に入り、数字を一緒に見て、仕組みを一緒に作る。助言して終わりではなく、動いて終わりでもなく、「回る状態になるまで伴走する」という形が、今の院長の状況に合っていた。

体調が戻っても、不安は消えていない。次に倒れたとき、また同じことが起きる。その事実に、院長は正面から向き合い始めていた。

私たちがやったこと(時系列)

1か月目は、数字を「院長の頭の外」に出すことだけに集中した。

最初の作業は単純だが、手間がかかる。院長が毎月なんとなく把握していた売上・固定費・変動費を、実際の通帳と請求データをもとに一枚の損益表に落とし込む。レセプト収入の入金タイミング、薬品・医療材料の支払いサイクル、スタッフの給与締め日。バラバラに院長の記憶の中にあったものが、A4一枚に並んだとき、院長は少し黙る。「こうして見ると、思ってたより薄いですね、利益」。感想というより、独り言に近い声だった。

同じ月に、配偶者への情報共有ルールも設計した。毎月末に損益と資金繰りの見通しを一枚にまとめ、院長と配偶者が15分だけ確認する場を設ける。それだけのことだ。だが休診中に「通帳を見ても何がいくら入るかわからなかった」と話していた配偶者にとって、この15分は小さくない変化だった。

2か月目に入ると、業務の棚卸しを行う。院長に一週間、自分が何をやっているかを書き出してもらう。診療記録の確認、薬品発注の最終判断、スタッフのシフト調整、患者からの電話対応の引き取り。「院長しかできない業務」「スタッフに移せる業務」「手順化すれば誰でもできる業務」の3分類に仕分けると、院長の業務の4割近くが3番目のカテゴリに入った。

優先度の高い業務からマニュアル化を始める。薬品発注の手順、患者からの問い合わせ対応の振り分けフロー、定期処方の更新確認。一つひとつは地味な作業だが、文書にすることで初めて「誰かに任せられる形」になる。院長は3か月目の終わりに、「いや、正直、書いてみたら自分でも整理できてなかったことに気づいて」と話してくれた。

3か月目は、経営補佐役の育成に入った。事務スタッフの中から、数字への関心が比較的高く、落ち着いて物事を整理できる人材を一名選ぶ。毎週月曜の朝15分、院長と三者で短いミーティングを設ける。議題は「今月の資金繰りの状況」「今週の優先確認事項」の2点のみ。最初の数回は、その事務スタッフが数字の意味を把握するまで時間がかかる。しかし4回目あたりから、自分で損益表を見て「先月より薬品費が増えていますが、発注量が変わりましたか」と確認を入れるようになった。

権限委譲は段階的に進める。最初は「確認して院長に報告する」段階、次に「判断して事後報告する」段階、最終的に「一定範囲は自己完結する」段階へ。一足飛びにはしない。院長が不安を感じない速度で広げていく。

4か月目は、休診時の対応手順を文書化した。患者への連絡フロー、スタッフの役割分担、定期処方の対応、支払いと引き落としの確認手順。昨年の休診時に「誰も何をすればいいかわからなかった」状況を一つひとつ拾い上げ、手順として整理する。文書ができた後、実際に院長不在を想定した模擬確認を一度行う。スタッフが手順通りに動けるか、抜けている判断軸がないか。この作業で2か所の「誰も決められない」箇所が見つかり、その場で担当と基準を決めた。

5か月目は、提携する専門家と連携して就業不能保険と事業保険の現状を確認した。加入済みの保険が実際の休診期間をカバーできる設計になっているか。院長は「入ってはいたけど、内容を確認したことがなかった」と話した。見直しの結果、補償の空白があった部分に対応した。

6か月目に入る頃には、院長・配偶者・経営補佐役の三者が月次経営会議に揃い、数字と課題を同じテーブルで確認する形が定着している。院長が一人で抱えていた情報が、三人に分散されている。その変化を、院長はこう話してくれた。「病気をして初めて、医院のすべてが自分一人の肩に乗っていたことに気づきました。数字と業務を見える形にしてもらえたことで、ようやく安心して診療に集中できるようになりました」

その後、何が変わったか(After)

体調が戻って最初の月次会議で、院長は数字の入ったシートを初めて配偶者と並んで見た。売上、固定費、翌月末の資金残高見込み。それまで院長の頭の中だけにあったものが、A4一枚に並んでいる。配偶者は静かにシートを見て、「これ、ずっとこうしてほしかった」と言った。

支援開始から半年。変化は数字にも現れている。院長が診療後に費やしていた事務作業の時間は、週あたり4〜5時間ほど減った。レセプト確認の一次チェック、スタッフシフトの調整、取引先への連絡対応。これらを担う経営補佐役が院内で育ち、「先生に確認してから」という言葉がスタッフの口から出る頻度も明らかに減っている。

休診時の対応手順も形になった。院長が1週間不在になった場合、誰が何を判断し、何を保留するか。保険会社への連絡フロー、患者への案内文、スタッフへの指示系統。一枚のフローチャートに落とされ、事務室の引き出しに入っている。使われないに越したことはない。ただ、あることとないことでは、全員の気持ちが違う。

院長が実際に1週間の学会出張を取ったのは、支援開始から7か月目のことだ。以前なら考えられなかった。出発前夜、スマートフォンを何度も確認する癖がある。でも今回は、確認する必要のある案件がない。それだけのことで、空港までの道が少し違って見える。

「病気をして初めて、医院のすべてが自分一人の肩に乗っていたことに気づきました。数字と業務を見える形にしてもらえたことで、ようやく安心して診療に集中できるようになりました」

これから検討する方へ

もし今、「自分がいなければ医院が回らない」という感覚があるなら、それは院長としての責任感ではなく、経営の構造的なリスクではないだろうか。

体調を崩した院長は、こう話す。「病気をして初めて、医院のすべてが自分一人の肩に乗っていたことに気づきました」。気づいた時には、休診中の資金繰りも、スタッフへの指示系統も、何一つ誰かに渡せていなかった。

先送りしている間も、リスクは静止しない。院長の体は、今日も診療を続けている。

私たちの視点

院長が倒れて初めて見えてくる経営の輪郭がある。数字の在処、業務の流れ、誰が何を決めるのか。それまで「自分が全部わかっている」と思っていたものが、実は頭の中にしかなかった。

属人化は、勤勉さの副産物だ。悪意はない。ただ、構造として脆い。

経営の土台を整えることは、院長が楽をするためではない。医院が続くために、家族が安心するために、スタッフが働き続けられるために、必要なことだ。診療に集中できる環境は、誰かが与えてくれるものではなく、仕組みとして設計するものだと、この院長の記録は示している。

同じ悩みに心当たりのある方は、外部COOのご相談から。まず現状を整理するところから始めます。

この記事を書いた人

ミレニアム株式会社 経営支援チーム

医療法人・クリニックを中心に、経営改善、組織設計、人材定着、財務改善、マーケティング支援を行う専門チームです。

院長・理事長への業務集中、スタッフ退職、採用難、評価制度の未整備、事業承継、集患・広報など、医療機関に特有の経営課題に対し、現場の実態と経営構造の両面から課題を整理し、改善策を提案しています。

本メディアの記事は、医療法人経営やクリニック運営に関する実務知見をもとに、経営者が意思決定しやすい情報提供を目的として監修しています。