後継者不在の循環器内科が第三者承継で地域医療を守った話

後継者不在の循環器内科が第三者承継で地域医療を守った話

「あと何年、診られるだろう」。そう思いながら聴診器を当てる朝が、増えている。

60代後半に差しかかった頃から、体力の変化は正直に出てくる。以前なら気にならなかった午後の疲れ、翌朝に残る倦怠感。診察室では笑顔を保てても、帰り道で足が重い。

子は別の道を選んだ。それを責める気にはなれない。勤務医もいない小さなクリニックで、内部から後継者を育てる余裕も、もうない。このまま廃業を選べば、20年以上通い続けてくれた患者の行き場が消え、10名のスタッフの雇用も終わる。

M&A仲介会社に話を聞いたこともある。だが、返ってくるのは相場の話、スキームの話。患者をどう守るか、職員の雇用をどう継続するか、その視点はほとんどなかった。不信感だけが残り、決断できないまま時間が過ぎた。

相談できる相手が、いない。あなたにも、そんな感覚はないだろうか。

相談に来られた頃(Before)

診察を終えると、もう外は暗い。受付のシャッターを下ろし、最後の患者のカルテを閉じる。その動作が、以前より少しだけ重く感じる。

60代後半に入ってから、体の変化は小さいが確かだ。夕方になると肩が張る。長い外来が続いた翌朝、起き上がるのに一瞬の間がいる。「あと何年、こうして診察室に座れるか」という問いが、ふとした瞬間に浮かぶ。浮かんでは、答えが出ないまま沈む。

子どもたちはとうに別の道を歩いている。医師にはなっていない。継いでほしいと頼んだことはない。そういう時代でもないと、院長自身が思っていた。だから後悔はない。ただ、現実として、後を継ぐ者がいない。

勤務医を雇うことも考えた。だが地方都市で循環器内科の常勤医を確保するのは、口で言うほど簡単ではない。何年もかけて声をかけてきたが、定着しなかった。内部から育てるにも、看護師も事務スタッフも、医師免許を持っていない。内部昇格という選択肢は、最初から存在しない。

廃業、という言葉が頭をよぎる。

日本医師会の調査研究機構は、後継者不在が地域医療のボトルネックとなり、全国各地から医療機関が撤退する事態を回避するための実態把握の重要性を指摘しています。

出典: 日本医師会|医業承継に関する実態調査 都道府県医師会および郡市区 …

そのたびに、顔が浮かぶ。20年来通ってくれている高齢の患者。心不全の管理を続けている70代の男性。「先生じゃないと嫌だ」と言って、遠くから来てくれる人もいる。廃業すれば、その人たちの行き場がなくなる。地方都市で循環器を診られるクリニックは、そう多くない。

スタッフのことも頭にある。10名ほどのチームで、長い人は10年以上一緒に働いてきた。「廃業します」と告げる場面を想像するたびに、言葉が出なくなる。

M&A仲介会社に問い合わせたのは、ある夜、検索を繰り返した末のことだった。「クリニック 後継者 いない」「医療法人 M&A 地方」と打ち込んで、出てきた会社に連絡する。担当者は丁寧だった。ただ、話の中心は相場と手続きの話だ。「この規模だと評価額はこのくらいです」「スキームとしてはこういう選択肢があります」。数字とスキームの説明が続く。

患者はどうなるのか。スタッフの雇用は守れるのか。引き継いだ相手が診療方針を大きく変えたら、長年の患者との関係はどうなるのか。そういう問いを口にすると、担当者は「条件交渉の中で確認できます」と答える。

なんというか、話がかみ合わない感じがした。

結局、決断できないまま時間が過ぎる。仲介会社への連絡も、いつの間にか止まっていた。誰かに相談したいが、誰に相談すればいいのか分からない。顧問税理士は税務の専門家であって、承継の設計を一緒に考えてくれる立場ではない。医師仲間に話せるような内容でもない。

休日の午後、院長は自宅の椅子に座ったまま、窓の外をしばらく眺める。決めなければならないことは分かっている。時間が解決してくれないことも、分かっている。それでも、どこから手をつければいいのか。答えは、どこにもない。

なぜ、私たちを選んだのか

M&A仲介会社に声をかけたのは、知人の紹介だった。面談は丁寧で、資料も整っていた。ただ、話の中心はいつも「相場」と「スキーム」だ。バリュエーションの計算式、譲渡価格の目安、税務上の処理。数字の話は分かる。でも、院長が本当に聞きたかったのは、そこではない。

「患者さんはどうなるんですか。職員は、続けて働けるんですか」

そう聞くと、担当者は「それは引き継ぎ後の運営方針次第で」と答えた。つまり、買い手が決めること。売り手側が条件として持ち込む話ではない、というトーンだった。その瞬間に、何かが引っかかった。数字は守れても、現場は守れない。そういう構造なのかもしれない、と。

決断できないまま、半年が過ぎた。

顧問税理士を通じて紹介を受けたのは、そのころだ。最初の面談で印象に残ったのは、財務の話と現場の話を同じテーブルで扱えることだった。「患者基盤の厚みと、スタッフの定着率は、譲受候補の選定基準に直接影響します」という言葉は、M&A仲介では一度も出てこなかった視点だ。

「廃業しかないと思っていたが、患者も職員も守る道があると分かった」と、院長は後に話している。その実感は、最初の面談から少しずつ積み上がったものだ。単に「買い手を探す」のではなく、院長が引退後に何を守りたいのかを先に整理し、それを承継条件に変換する順番で進めた。引退時期、職員雇用の継続、診療方針の尊重。院長の希望が、交渉の出発点になった。

財務と現場の両方を読める相手に、初めて出会えた感覚。それが、決め手だった。

私たちがやったこと(時系列)

1か月目は、まず「今の状態を正直に並べる」ことから始まった。

初回の作業会議は、院長室の小さなデスクを挟んで行われた。財務資料、患者数の推移、スタッフ別の業務分担表。それらを一枚ずつ広げながら、月次収支の実態を確認していく。売上の柱は保険診療のみ。患者の年齢層は高く、慢性疾患の管理が中心だ。地域に根ざした安定した患者基盤がある一方で、院長一人の診療能力に収益のほぼすべてが依存している構造が、数字から浮かび上がってくる。

患者数の推移グラフを見ながら、院長は静かに言った。「ここ2年、少しずつ減ってるのは分かってた。でも改めて並べると、思ったより早い」。感情的な言葉ではない。ただ、事実を目の前に置いたときの、静かな重さがそこにある。

スタッフ体制の棚卸しでは、各スタッフが実際に担っている業務を書き出し、「院長がいなければ回らない業務」と「スタッフだけで完結できる業務」に分類した。受付・会計・検査補助・電話対応。多くの業務はスタッフが担えているが、診療の判断・患者への説明・紹介状の作成は、すべて院長個人に紐づいている。承継可能な状態かどうかを判断するための、最初の輪郭が見えてきた。

2か月目に入り、焦点は「業務の文書化」に移る。

院長が長年の経験で自然にこなしてきた診療フローを、第三者が読んでも理解できる形に落とし込む作業だ。初診患者への問診の進め方、よく使う処方の判断基準、患者への病状説明の手順。「こんなこと、わざわざ書いたことなかったな」と院長は苦笑いしながらも、一つひとつ丁寧に言語化していく。

患者対応ルールについては、スタッフへのヒアリングも組み合わせた。「先生は電話では細かく説明しない方針」「急変時は必ず院長に直接つなぐ」。スタッフが暗黙知として持っていたルールを文字に起こすことで、院長個人の頭の中にあった「このクリニックのやり方」が、初めて組織の資産として形を持ち始める。

3か月目は、承継の選択肢を整理する段階だ。

親族内承継、内部昇格、第三者M&A。三つの選択肢をそれぞれ条件・リスク・現実性の観点で比較した一覧表を作成し、院長と一緒に確認する。子は別の道を歩んでいる。常勤の勤務医もいない。現実として残るのは第三者承継だが、「M&Aという言葉に、どうしても抵抗がある」と院長は率直に話した。

だからこそ、この段階で時間をかけたのは「院長が何を守りたいか」の言語化だ。引退の時期はいつ頃か。職員の雇用は全員継続してほしいか。診療方針は引き継いでほしいか。それとも新しい体制に委ねるか。一問一答ではなく、対話の中で少しずつ輪郭を描いていく。

3か月が終わる頃、院長は言った。「廃業しかないと思ってたけど、条件次第では道があるんだな、と。それだけで、少し楽になった」。決断ではない。ただ、選択肢が見えてきたという、小さな手応え。その感覚が、次の段階への入口になった。

その後、何が変わったか(After)

着手から8か月。院長の手元に、一枚の基本合意書が届く。

財務の棚卸しから始まった作業は、思いのほか時間がかかった。長年、感覚で回してきた収支の構造を数字に落とし込み、患者基盤の厚み、スタッフの役割分担、業務フローを一つひとつ文書化していく。「こんなに整理できていなかったのか」と院長自身が気づく場面が、何度もある。だが、その作業があったからこそ、交渉の席で相手に伝えるべきことが明確になった。

承継条件の中心に据えたのは、スタッフ10名の雇用継続だ。金額の話よりも先に、この一点を条件として書面に明記することにこだわった。候補先との面談でも、院長は診療方針と職員の処遇について自分の言葉で話す。相手が「現場を大切にする姿勢」を持っているかどうか、そこを見ていた。

職員への説明は、基本合意の後に院長自身が行った。「皆さんの雇用は守られます」。その一言を、落ち着いて言える状態で迎えられたことが、院長にとって大きかった。数字と条件が整理されていたから、言葉に迷いがない。受付スタッフが「先生、ありがとうございます」と言った。院長は、うなずく。それだけで十分だ。

引退の時期は、承継先との引き継ぎ期間を経て、おおむね1年以内に設定できる見通しが立った。「廃業しかない」と思っていた頃には、想像もしていなかった未来だ。地域の患者が、同じ場所で診察を受け続けられる。職員が、同じ職場で働き続けられる。その形が、整った。

「廃業しかないと思っていたが、患者も職員も守る道があると分かった。数字と現場の両方を理解したうえで並走してくれたので、初めて安心して決断に向き合えた」

これから検討する方へ

もし、同じ場所で立ち止まっている院長がいるなら、一つだけ伝えたいことがある。

「売れるかどうか」より先に、「何を守りたいか」を言葉にすること。患者か、職員か、診療方針か。その優先順位が決まらないまま相談に行っても、条件の話だけが返ってくる。院長自身が「廃業しかないと思っていた」と振り返るように、選択肢の狭さは多くの場合、情報不足ではなく、言語化の不足から来る。

そして、動くタイミング。体力面の不安を感じ始めた頃が、実は最も選択肢が広い時期だ。判断を先送りにするほど、体力も交渉力も、候補先の幅も、静かに縮んでいく。

「いつか考えよう」は、いつか来ない。

私たちの視点

医療法人の承継は、売れるかどうかの問題ではない。何を守るかを決めた人だけが、納得できる出口にたどり着く。院長が「廃業しかない」と思っていた頃、本当に欠けていたのは選択肢ではなく、判断の起点だった。その起点を一緒につくることが、私たちの仕事だ。

同じ悩みに心当たりのある方は、承継・M&Aのご相談から。まず現状を整理するところから始めます。

この記事を書いた人

ミレニアム株式会社 経営支援チーム

医療法人・クリニックを中心に、経営改善、組織設計、人材定着、財務改善、マーケティング支援を行う専門チームです。

院長・理事長への業務集中、スタッフ退職、採用難、評価制度の未整備、事業承継、集患・広報など、医療機関に特有の経営課題に対し、現場の実態と経営構造の両面から課題を整理し、改善策を提案しています。

本メディアの記事は、医療法人経営やクリニック運営に関する実務知見をもとに、経営者が意思決定しやすい情報提供を目的として監修しています。